ガラス張り

 この前ふとガラス張りって綺麗だなと思ったのですが、そもそもガラス張りって窓なのか建物の壁面なのか、どちらなのでしょうか。窓の基本的特質は「通風、採光、眺望」*1である一方で、建物の壁面は通常コンクリートや木材などで出来ていて、外界との接続は完全に遮断されています。ガラス張りは通風の要件はクリアしていないけれども、採光と眺望は満たしています。しかし同時に、建物自体を形づくる壁面でもあります。つまり、ガラス張りは、建物の壁面に窓的な性質を部分的に付与したものだといえるのではないでしょうか。外界との接続を全く遮断されていた壁面に、窓としての機能が備わることで、効果としては窓の延長と捉えることもできます。

 窓は「家屋の中で外界と屋内空間との遮断と連続の両義性を担う代表的要素」*2だそうで、ガラス張りにおいても、この両義的な機能は認められます。実際、採光と眺望に関しては、通常の窓よりも効果が拡大されています。通常の窓は、壁面に穿たれた穴であり、光量も眺望もこの範囲に限定されます。しかし、その壁面自体が窓的に変貌しているガラス張りにおいては、光量も眺望可能な範囲も大幅に増大します。つまり、この点に関しては、外界との「遮断」と「連続」の比率が変わっていて、比較的「遮断」の割合が小さくなり「連続」の割合が大きくなっているといえます。

 というのは、屋内から外側を見たときの話であって、外側から建物を眺めた際には、より明らかに、内側と外側の境界が希薄になっていることが分かります。例えば、こちらの写真ですが、外界の景色がガラス張りに映りこみ、建物と一体化しているようにすら見えます。

横浜国立大学附属図書館

建物自体は無機的なのですが、外界の自然を取り込むことで、有機的な活力が感じられます。外界と内側は、物理的にはガラスによって隔てられているのですが、まさにそのガラスの効果によって、外界と内側の要素が混合された形で表れています。もちろん通常の窓であっても、外界の景色は映りこむのですが、かなり範囲が限定されています。ガラス張りによって、窓的性質が拡張され、窓の基本両義性が視覚的により明瞭な形で表現されるのです。

 そして、外界の要素が「都市」である場合は、事はより複雑で面白くなります。ガラス張りには都市が映り込み、建物は都市を内包します。その建物自体、都市の一部を形成していながら、全体の都市景観を内側に描写するという事態が起こります。

横浜駅西口

いわば部分かつ全体という両義性が生じているのですが、これは窓の基本両義性と別種のものではありません。そもそも、外界と屋内の遮断と連続という定義から考えると(外界とはこの世界のことであり、建物は世界の一部であるので)、部分かつ全体という両義性は、元々の基本両義性をより観念的に捉えたものだといえるでしょう。都市の中のガラス張りは、窓の基本両義性を観念的に変換し、それを視覚的な具体性をもって浮き彫りにしているのです。さらに、ガラス張りであることの重要な意味は、外側から内側が透けて見えることです。建物の中の人間やモノ、つまり都市を構成する小単位までが、複製された都市景観と一体化しています。ガラス張りの建物は、その内側に都市の在り方を閉じ込め、ミクロからマクロまで重層的に描写しているのです。

 

*1:金田晉「〈窓〉の現象学 : 西欧近世絵画観への素描的考察」以文社『實存主義』第83号、1978年、42頁、URL:https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00024976

*2:同上論文、42頁